現実はビター

カード次々めくるように夢追いかけるにはもう遅い

 

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泣くことが少なくなった。芝居見て感動してとか、ライブで感情が昂ってとかはあるけど。

なんていうかその、純粋に悲しくてとか思い通りにいかないモヤモヤでとか、そういう自分の気持ちと抗った結果の涙って流さなくなった。

いや、“泣けなくなった”が正しいのかも。

 

 

大人になったんだと思う。私が、そして周りが。

素直に夢を打ち明けることも、心から人を信頼することもなくなった。自己防衛のために諦めることを知ったからだった。

 

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この夏、再びSHOWBOYの世界に浸っている。もう何度も見た作品なのに、少しのブラッシュアップに信じられないほど心動かされている。

 

合言葉は【ヤルシカナイネ】

 

再々演である今年、全員が諦めきれない夢を見続けていることがより鮮明に描かれている。

生活のために諦めた憧れも、手放さなきゃならないその輝きも、でもやっぱりどこか忘れられなくてどこかで追い求め続けているその理想。

 

 

「人生にやり直しってないんだよね?じゃあチャンスってどうやったら手に入れられる?」

人生は選択の連続だ。2択を外してもちょっと回り道すれば、選ばなかったルートにたどり着くかも。

人生は挑戦の連続だ。叶わないと過去に置いてきた願望にも、本気で向き合う瞬間がくるかも… なんて。

 

 

「続けてるのがもったいないって思っちゃったの。このまま続けて何も無かったらって」

これまで挑み続けてきたどの事柄に対しても、費やした時間と熱量は本物だった。だからこそ、それを無駄だと思いたくない。無駄だったと思うことなく生きたいのだ。正々堂々生きるって、多分そういうこと。

 

嘘偽りなく生きれたら、好きも嫌いも飲み込んで、現実の中で少しだけ理想に手を伸ばせたら。

 

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あいにく私にも、ショータイムのようなキラキラした人生は与えられていないらしい。

 

きっとこれから先、マフィアのように望んでいない仕事をこなすことになったり、見習いのように努力が身を結ばなくて悩むことになったりするのだろう。裏方のようにどうしても諦めきれない夢を見続けることも、ないとは言いきれない。そしてギャンブラーのように、人生を変えたいと嘆くような日がくるのかも。

 

 

ノーバディーズパーフェクトの世界、それでも報われるのはたったひと握り。でももし何もかもをはじめからやり直せても、多分同じ道を選ぶ。

現実の苦さも悪くはない。ここで闘う自分を大事に包み込んであげたら、その先にある憧れに手が届く気がして。

チャンスは自分で掴むもので、そのための選択肢はあちこちに転がっている。気がついていないだけで案外すぐそばにある。

 

 

 

 

40手前のオトナの物語を上手に噛み砕いて解釈できるくらいに大人になった、考え方も感じ方も価値観も。

安定を捨てて全てを憧れに捧ぐことなんてできないと知っている。だからこそ、捨てきれない夢を抱いたままもがくその美しさが映えて見える。

 

 

愛を纏った熱視線も、不器用に想いを吐露してこぼした涙も、衣装に袖を通した後のキラキラした瞳も、水面に映る姿に湧き上がる興奮も、いずれ消えゆく淡い記憶。だけど。

 

 

【そんなに好きなら諦めんなよ、ばか】

 

 

いつか思い出すなら、熱く爽やかでどこか涙混じりの、この夏がいい。

 

 

 

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