あの日の続きを生きてく

デビューするんだって、ふぉ〜ゆ〜が。

墓場だったのにね。あの頃やってた人達みーんなグループを諦めてひとりになっていったのにね。

ひとりにならざるを得なかったあの頃の仲間にも見守られ、みんなが憧れていた夢を掴んだって、かっこよくて誇らしくて、嬉しくて寂しくて羨ましくて。

 

 

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時間が経てば経つほど、手放しでは喜べないなと、そればかり考えている。それは、世間の声とか本人達の気持ちとか色々あるけれど。一番はわたしがものすごく弱いんだな。

 

夢が叶うっていうのに、寂しいとか怖いとかそういうマイナスの感情がずっと片隅にある。それで、そんな気持ちになっている自分に嫌気がさして。こんなに好きなのに、素直に祝うこともできないの。最低なんだよな。ふぉ〜ゆ〜はいつだってまっすぐにおともだちに向き合ってくれてるのに。

 

 

 

ふぉ〜ゆ〜を結成したのは4人が24歳のときで、ちょうどその頃にゆ〜ちゃんずの存在を知ったわたしは今年やっとあの頃の彼らの歳に追いついて。人生考える時だなって本気で思っている。

人との付き合い方、これからの生活、今の仕事をいつまで続けられるのか、みたいな色々。

でもわたしには、どう転ぶか分からない世界に、リスクとともに飛び込んでいこうとは思えなくて。「アイドルとしてのチャンスを掴みに行ってみる」なんて、あまりにもかっこよすぎて、あまりにも無謀すぎて。とんでもないな、だってできないもん普通。安定を求めたくなってしまう生き物でしょう、人間って。少なくともわたしにはそんな勇気がない。

ふぉ〜ゆ〜って自分のことを、あんまり強くないって言うけれど、ものすごく強い人達じゃんね。

 

 

「そうです、僕はいま夢を見ています。ふぉ〜ゆ〜という夢を見ています。」

ふぉ〜ゆ〜は夢、本当に。いつまでも見続けていたいし、色んなものを叶えてくれて、こういうオトナになりたいとも思う。わたしは色んな意味で、ずっとふぉ〜ゆ〜に夢を見ている。

だから「生きていて夢を見るなんて、素敵な体験をさせてくれてありがとうございます。」ってやっぱりこっちの言葉だよ。ね、リーダー。

 

だから、ふぉ〜ゆ〜と見たい景色はやまほどある。叶えたい目標は次から次に浮かんでくる。

でも、今よりもっと距離が遠くなってしまうのが怖い。変わらないってどれだけ本人達が思っていても、決めていても、関わってくれる方が増えて、求められるものが変化して、外からかかる力で “変えていかなきゃいけないこと” ってどうしても生まれてしまう。今までと同じを貫くことは不可能で、なんかそれってすごく寂しくて。そうなると今度は、常にふぉ〜ゆ〜がふぉ〜ゆ〜らしくいられる確証がまだ持てない。

いつだって、今のふぉ〜ゆ〜が一番好き。

4人で同じ方角を向いていて、隣にいることが当たり前なふぉ〜ゆ〜が。

外圧による何かでぶつかった時、仲が悪くならないって言い切れるのかなって。生配信で「それはないよ」ってちゃんと否定してくれてはいたけれど、わかんないじゃん。だって今までにはそういう経験がなくて、4人はずっと仲良しで。仲が悪くなるとか想像もつかないけれど、人生は想像を超えてくるんですもんね福ちゃん……。プラスの気持ちであろう言葉を、勝手にマイナスの意で使用させていただくのは申し訳ないですが。

 

 

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「空のケースにCDを入れてあげたい」

デビューは、これに賛同した大人のおかげで実現した勤続ボーナスみたいなものだと思っていて。

これって言ってしまえば我々のわがままなわけで。だってCDが欲しいのはおともだちだし、ふぉ〜ゆ〜はおともだちに喜んでもらいたいと思っているだけであって。

私達のわがままを叶えてあげたいふぉ〜ゆ〜の話を関係者の皆様が聞いてくださったばっかりに、あちこちから突き刺さるような厳しい意見も飛んできている今。いっそ私達のせいにしてくれればいいのにな、ふぉ〜ゆ〜が傷つけられるのは見ていられない。

でももし、ふぉ〜ゆ〜を守るためにおともだちが傷ついたとして、4人はきっと「おともだちが傷つくくらいなら俺らを攻撃して」って言うと思う。優しすぎるから。自己犠牲の塊みたいな。ダメだよ、もっと自分を大事にしてよ。ふぉ〜ゆ〜には幸せでいてほしいんだからずっと。

相思相愛みたいな可愛いもんじゃないのかも。お互いが傷つくのが怖くて、強がってへらへらしてみて、共依存って言うんじゃない?これ。

 

そして、ずっとその距離感でいたいなと思ってしまったのがわたしの悪いところ。

ふぉ〜ゆ〜のこと、愛で包んであげたい。愛に溢れた景色を見せたい。

だからずっと、「ありがとうを言わせてくれてありがとう。」って言えるくらいの近さにいてほしくて。届いてるのかわからなくなってしまう遠さが怖くて。離れてても受け取ってはくれるんだろうけど、ふぉ〜ゆ〜を信じきれない自分が本当に申し訳ないな。ちゃんと4人の味方なのにな、これじゃフレネミーみたいだ。

 

 

 

胸の内がずっと、ぐちゃぐちゃで、なーんにもまとまってなくて。このブログも話があっちこっちしてる。もっと前向きでいなきゃとは思うのにね。

 

ふぉ〜ゆ〜を好きでいること、本当に幸せだと思っているし。「幸せじゃないって答えたら、応援してくれるおともだちを裏切ることになる。」って向こうが思ってくれていることも、もうとんでもなく愛しくてたまりませんって感じ。

ゆうた、ゆうだい、ゆうき、ゆうすけ。なんて素晴らしい名前なんだ。ふぉ〜ゆ〜というグループ名があまりにもぴったりで。

 

 

 

ミッションなんて絶対にこなしてみせるし、そこは任せてほしいって自信をもって言える。デビューした先に待っている新しい景色が楽しみなのも間違いない。でもこの、怖さや寂しさは11月11日を迎えてみないとどう動くか分からないな。もう3ヶ月で、少しでも扱いやすい気持ちに移り変わっていますように。

 

 

 

 

MADの全員が新しい道を歩み始めて、最後に残った幸大が入った宇宙Sixの結成日が2016年11月11日。ちょうど10年、MADの想いも全部背負う宿命みたいな日。

 

よんぶんのいち、みたいな4月1日生まれのふぉ〜ゆ〜。

新たな記念日は【よんこいち】の11月11日。

晴れやかな気持ちで迎えることができますように。

 

ふぉ〜ゆ〜、いつも沢山の愛をありがと★

まだまだアヴァンギャルドに夢みていこうね。

誰がなんと言おうと、間違いなくだいすきだよ。

あなたが生まれて生きている

「きっと、必ず誰かしらが亡くなるっていう経験を絶対するはずなんですよ。そのときにみなさんはどういう風に乗り越えたりとかするんだろうみたいなことすごく気になるんで、ぼくは自分の思ってること発信するのは大事だと思って話すんですけど。

 

おとうさんが亡くなったことによって、その悲しみを乗り越えるとか乗り越えたことによって明るくなったとかそういうことじゃなくて、人はそういう悲しみと一緒に生きるんだなっていう風にぼくは思ってるんです。乗り越えるじゃなくて。そうやって人は強くなっていくのかなあとか、こう積み重ねでね。」

 

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6月5日夜公演、アフタートークで福田さんがやけに優しい声で紡いだ心の内は、演劇の魔法が引き出した言葉だったと思う。

 

個人的に、先月死者蘇生を題材にした舞台を観たばかりなのと、仕事柄生死について考える機会も多く、なんだかやけに沁みてしまった。

 

福田さんの舞台は人の生死にまつわるものが多い、ってこれはもう何年も前から言っているけど、その度にきっと演じているこの人だから思うことがあるんだろうなって感じてて。

 

生きるって、きっと自分を思いやることと直結していて。

自分を思いやるって、誰かを大切にしたり、誰かに想われたりすることで。

 

福田さんがおとうさんを想っている限り、悲しみと共に歩み続ける限り、そんな福田さんを愛して支えてくれる人がまわりに絶えずいるんだろうなと思う。

 

 

福田さんの心と、この作品と、おとうさんへの想いの周波数が全部重なるタイミングに、素敵な話が聴けて贅沢な時間だった。

 

 

 

千穐楽おめでとう。

陽さん、福田さんの言葉を引き出してくれてありがとう。

また会おうね。

🏕

折角なので、いつかの自分のための記録。

きっとこの作品が刺さっている人もいるだろうから、あくまで個人の感想だと思って読み進めていただきたいし、私とは思考が合わないかもって人はすぐにここを閉じてください。

 

とりあえずBとCしか見てない上での感想。全パターン見たらまた全然変わってくるんだろうなとは思うのでそれはそれでまた書きます。

 

 

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演劇だと思って観たらゴミだし、コントだと思うなら観れないことはないけどまあだとしてもクオリティが低い。

 

まず伏線散々張る割に全然回収しない。これって結局オチはなに?どこに結論を持っていきたいのかもイマイチわかんないかな。

この物語の主軸はなんだろうね、最後に伝えたいのは雨間さんの言う「人との繋がりを大事に」ってところなのかなやっぱり。

そこだけを切り取るんだとしたら、雨間さんと風吹さんの関係性とか、お互いにソロ活が一番だって言ってた霧崎と南ちゃんが付き合うっていう選択をするとか、わからなくはないけど。

うん、わからなくはないけど。くらいの気持ち。

っていうかそれ以外のメッセージ性を感じ取れなかったので、物語の結末についてはこれ以上議論の余地がない。これが芝居だと思うには本当につまらないと感じる理由の一端かも。本来演劇って観る人によって幾千通りの解釈が生まれるもので、その余白がない作品って、観てる時は多少楽しいかもしれないけれど、他と比べて満足度が低いのかなって思う。私はあとから自分なりに噛み砕いて長く楽しめる作品が好きなので余計。

 

 

ここから先は、役者の演技力の話も出てくるので読む人を選ぶ気がする。自衛してください。

 

まず、蓮子が主任を好きだっていうのがキーになる設定なのはわかる。2人とも主任への媚の売り方と、雪村への雑な対応も霧崎へのだいぶパワハラチックな関わり方の差別化が上手い。いかに主任にだけよく思われようとしてるか、ってところ。

ただ、越蓮子は “ 結局どこで関心がなくなるのか ” が分かりにくい。っていうか他に冷めた態度を取る割には全員への距離が近い。主任以外でもそれ誰でもいいんじゃ?って思った。龍雷太となんてチューできる距離だったぞ。

逆に龍蓮子は結構はっきりしてるというか、“ はい今の発言で冷めました” みたいな表情がちらほら見れる。中の人がバレエ続けてるおかげでしっかり表情管理できるから、顔で芝居するってのが上手いんだろうな。

 

雪村はなんだろうね、そもそもすごくキャラ設定が曖昧かなって思う。雷太の言葉を借りるなら本当に「良い奴だけど自分の物差しで人を計ってしまう」なんだろうなとは。でもうん、それがこの話の何に作用しているのかがわからない。

霧崎がアロマなんだって話のあと、雪村が謝罪するけど、あれって謝ったのが何に繋がってるんだろうね。詳しくは後述するけど、霧崎と南ちゃんがお付き合いを始めるのにあの謝罪が良く働いているわけでもないし。

雪村が先陣を切って物語を引っ張っていく存在であることは十分に理解している。雪村いなきゃキャンプなんて諦めて帰ってるもんねとっくに。でも本当にそれだけ。結局なんで雷太が雪村には本当のことを黙っているのかも謎。ここは雷太のところで掘り下げようかな。

和田雪村はなんか弱い。私が先に辰雪村を見ちゃったからだと思うんだけど、本来雪村って余計なとこまで首突っ込んで人が触れられたくないところにも悪気なく踏み込んでしまう、っていう役どころだと思う。「敬語使わないで」とか南ちゃん呼びとかもそう。他人が嫌がるかもってところがうまく認識できない。なんて発達特性のある男なんだ、と思ってごめん職業病。それを表現するならなんかこうもっとぐっと、勢いでいかなきゃいけないところってあると思う。和田の他の舞台を見たことがないのでこれだけで評価するのは大変申し訳ないんだけど、なんていうか和田特有のクールな感じが抜けきってない。それ捨ててくれたほうが雪村としての深みが出る気がする。

辰雪村はそこが上手い。うざい。てかうるさい。友達にいたらキレてると思う私。とはいえ私も他人の気持ちを推し量るのが超絶苦手なので人の振り見て……とは思った。てかこの人だけちゃんとずっと芝居してる。追々自担がものすごく頑張って切り込み隊長してた話は記録する。

 

さて、雷太。こいつが一番何考えてるかわかんない。色んな恋愛観の奴がいるよねってことで置かれてる役なんだろうけど、雷太の存在自体が物語にどういう影響を与えているのかが私の中でパッとしない。別にスポットが当たる役どころでもないし、離婚の話も結局 “ 雷太は今でも奥さんを思い続けている ” がなんなの?で終わってる。続きが見えない全く。これはもう本のせいなので、越雷太がとか龍雷太がとかじゃない。

じゃあさっき雪村のところで話題に出した、なぜ雪村には本当のことを言わないのかって話だけど。これって雪村のその、他人が踏み込まれたくない領域を理解できないってところにあるんだと思う。雷太かっこつけてるけど、繊細なのかなって私は解釈した。雷太にとって無遠慮に触れられたくないのが奥さんのことなんだと思う。自分が言われるのはいいけど好きな女はバカにされたくない、的な。この暑苦しさ似てるよね、雪村に。だから引き際さえ上手に見極められれば、雪村と雷太ってめちゃくちゃいいコンビなんだろうなと思う。朝の掛け合いもそう、ちゃんと仲良し。

雪村のおかげで雷太の人となりがわかった感じ。

 

霧崎はすごく蓮音に似てるなって思う。思ってることがあっても上手に言い出せなくて自分を押し殺すみたいなところ。役柄的にどうしてもアドリブとかに入っていきにくくてしんどいんじゃないかな今回の舞台。

無意識に優しいのが南ちゃんの気持ちを惹きよせていくんだけど、結局霧崎のポジションもこの作品の何に通ずる役なのかが曖昧だよね。あの夜、2人でどんな話をして、パートナーになりましょうって決めたのかがわかるとソロ活に重きを置いていた霧崎にとっての人との繋がりってなんだろう部分が見えてくるのかな。そしたらもっと演劇になるのにね。

 

南ちゃんは面白いなと思う。ちゃんと恋していくから、ひとりだけちゃんとゴールがある役。

和田南は夜みんなでワインを酌み交わすときにはとっくに意識してたね、霧崎のこと。ただそれが熊のおかげなのか……まあ、熊のおかげなのか。それまでそんな素振りなかったもんな。

辰南ってもっと早かった気がする。もしっこりの「ハズレくじだよね」を否定してくれたあたりからいい人なのかもって思ってるよね、2人でお茶しながら喋ってる時のちらちらと様子を窺う感じとか完全に気になってる男の子を目で追う時のそれで……報われろ、って思ったくらい。

あえて揃えてこないところに演劇として幅を持たせたいっていう辰巳くんらしさを感じるなと思ったら案の定パンフでそう言及していて面白かった。辰巳くんのそういう芝居スタイルが好きなんでしょうね私。

和田も辰巳くんも、2人がちゃんとそこまで演じ切ってくれるなら、やっぱり霧崎との間でどういうやり取りがあったのか、疑似恋愛でいいって考えがどこでパートナーになろうって思ったのか、ってとこ深くしてくれたらいいのにな。普通にそのストーリー見たいし。南ちゃんがこれから霧崎とどうなっていくのか知りたいし。

 

雨間さんと風吹さんはさくっといきましょう。

雨間さんが既婚者の描写って必要なんでしょうか。あれがあることで何に繋がるのか(n回目)あとカップル100組作ると助成金ってなんだよどんな自治体だよ。でもまあ雨間さんはただカップルたくさん作りたいだけのオーナーなのでいいです。ほんとはもっと台本崩してボケたいよね福田さん、とは思うけど。

風吹さんはなんか、元々すごく人が好きなんでしょ?って感じがする。「これだから初心者は」って言いながら楽しめるようにって色んなこと教えてくれて。身近な人に裏切られて他人が信頼できなくなってもそういう本来の自分を忘れずにいられるのって雨間さんのおかげなんだろうなって思う。だから、掟の何番目かの【悩み事はオーナーに相談すべし】もちゃんと実績のある文言なのかもね。名の通り、って言っていいのかわかんないけど、風吹さん無しじゃ風が立たないっていうか。キャンプとしても舞台としても成立しないと思う本当に。感覚的なものなのでそれが何かって言われると明文化は難しいけれど。

 

 

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Bは辰雪村と越雷太なので、冒頭から勢いづいてる感じ。舞台慣れしてる人達の発声ってやっぱり聴き取りやすいんですね。感動しちゃった。

恐らくこれがいちばん、“ ふぉ〜ゆ〜が互いの動きにツッコみやすい ” パターン。全員男で、雪村は先述した通りある程度勢いがあるし、雷太は元ヤンってことで雨間さんや風吹さんにちょっと強く出ても誰のキャラクターも崩れない。目の前で巻き起こる出来事として最も見やすいんじゃないのかなあ。

 

察しの良い方……でなくても次に私が何を言いたいかはわかるだろう。つまり、辰巳越岡がどちらも女子役のパターンは最もやりにくく見えるという話だ。Cだと越蓮子は主任口説くのに必死だし、辰南はそもそも会社の人間ですらないから一歩引いたところから眺めるしかないわけで、かといってスペがふぉ〜ゆ〜の作り出すアドリブに完璧にノってくれるかといえばそれは難しい。見慣れすぎて忘れてたけど、ふぉ〜ゆ〜の対応力ってバグってるみたい。場数踏みすぎ。アドリブを作るのもそれに乗っかるのも簡単じゃないんだなって、そりゃそうなんですけども。

さっき書いた自担が切り込んでた、ってのはこのパターンのときで。雪村やってるときはそりゃ切り込まなきゃいけないんですけども、そういう役演じてるので。南のときもずっと周囲の出方を窺っているというか、スポーツ選手みたいな書き方しちゃったけど。蓮子以外と面識のない南がどうボケるかツッコミを入れるかって相当難しいはずで、とにかく辰巳くんが頑張って南のまま切り込めるところを探していた印象。中の人の気にしいすぎるが故。頑張ってるなあと思って泣きそうになっちゃった。こんな見方をしてる時点で物語として、役として、私がこの舞台を100%楽しめていないんだなってそれは悲しくもなったけどさ。

 

 

そもそもの演技力や経験値の差が存在するのはわかっているし、自分達がそうしてもらってきたようになにか先輩として与えられるものがないか模索しているのも理解しているんだけど、だとしたらこれは初手に持ってくる作品じゃなかったのかなって思っちゃう。せっかくグループ単位で初めてお仕事できるこのチャンスに、内容に触れた感想を上げている観客がとても少ないのって、脚本の盛り上がりのなさとはっきりしないキャラ設定と、それから2組の間にまだはっきりとした遠慮が存在するのが原因だと思う。もっと恋模様に焦点当てても面白かったんじゃない?稽古期間もっと取れてたらさらに打ち解けてスペもふぉ〜ゆ〜に少しツッコんだりできたかな?なんてどうしようもないことをずっと考えているのが悔しい。個々人が持ってる能力を活かしきれてない感じがするのもモヤモヤするポイントなのかもね。

 

長々書いたけど、そろそろ4人舞台もがっつりお芝居に戻してほしいね!!コントは年1、ENTAで十分です😌

週末A,D観たらまた色々書き連ねよっと。

 

 

観劇済の人は、ぜひ1月20日の辰巳くんのあゆふぉゆを読んでください。辰巳くんの頑張りに苦しくなります絶対。

Don’t you ever leave

自担の配役が発覚した。座長のラジオでそれはそれはあっさりと。

友達から配役の話してる、って連絡がきて慌ててラジオを聴いたけれど、身体の震えは止まらないし胃は痛いし。なんとなくどっかで望んでる配役ではないことがわかってたから怯えた。

 

 

 

 

 

多分配役を聞いたのは、越松が博多公演を見に来た日だよね。翌日のブログの思いふけってる感じ、まだこの時点ではどんな気持ちで書いてるのかわかんなかったけど、ただなんとなくああ聞いたんだ、って思った。

よく考えたら、舞台の千穐楽の後とか、こっちがもうこの作品は見れないんだって思う頃に振り返る人だから、あの時点で辰巳くん自身はこれで終わりだから噛み締めなきゃって思ってたんだろうな。

 

ブログの雲行きが怪しいなって最初に思ったのは10/9の個人連載。私は彼のことを自分が求めている言葉をブログに書き起こしていくタイプの人間だと認識しているので、何かに対して自分の選択を認められたいと思っていることに多少の衝撃を受けた。少なくともなにか考え込んでいることは確かじゃん?っていう。

 

それから10/13の、これも個人連載。マツの舞台を見に行った日だからそういう類いの話なのかとも思ったのは事実、でもそれはグループ連載のほうに長々と綴っていたから100%その話をしているわけでもなさそうだった。

ブログが上がる少し前に、この日福越が上田のストーリーに載っていて。なんとなくそこで察した部分はあったよね、認めたくはなかったけど。

 

 

それからインスタの更新頻度が明らかに落ちたことに気づいて。ああ追い込まれてるんだ、って。

 

 

そういうあれこれから何週間もかけてなんとなく察してはいた。

そうだよね、なんでもやるって言ってて、それで実際どんな役を与えてもちゃんと自分なりに仕上げてきてくれる人だもん。信頼の上なの、そんなことわかってんだけどさ。

 

 

 

 

 

わかってんのと、受け入れられるかどうかってまた違うの。あたりまえだけど。

 

 

 

 

 

私ですらこんなに悔しいんだから、辰巳くんが悔しくないわけないじゃん。5年ぶりなのにたった数日で福ちゃんと2人で仕上げた今年のタツミが博多だけなのもったいないでしょ。

 

ここまでの集大成だと言わんばかりに、この表現はあの舞台で培ったのかな、この芝居はあの作品が影響してそうだなって思う部分もあって。

辰巳くんの中での刀役タツミの解釈がより広く深くなっていたことに、ずっと感動していた。フクダとの色んなことのバランスとか、タカダやリュウタとの関係性とか。変わらず役を生きてるからこそのちょっとした表出の違いが周りを巻き込んで、その日だけの空気感を生んでいて。やっぱり役の背景を想像させるのが上手で。

ライバル以外に感情を表に出す人間がいるだけでカンパニーの雰囲気が大きく変わるのとか、自分のせいだって思い詰めるのって自然なことだよなとか、タツミのおかげで新たな視点が生まれてて、今思い返しても博多はそれまでと違う楽しみ方ができてたような気がする。

 

フクダとのバランスも良くて、一緒に育ってきた感の強さがものすごく顕著なところとか正解の関係性だよなって思ったり。フクダがタツミに合わせてくれてる部分もあるだろうし、それはきっと逆も然りだし。

だから帝劇でもう1回、フクダとタツミのあの関係性が見たかったってのが本音。

博多のフクダは今までの印象と比べてすごく大人びていてそれも好きで、あれが多少なりともタツミありきの部分もあったと思うし、って考えると求めてる100%のフクダはもう見れないんだって気づいてしまってそれも悔しい。

 

 

 

 

 

 

開幕したら、実際槍振り回してるタツミ見たら、気持ち変わるのかもしれないけど。

現状は、些細な言葉に感情動かされるのも、返り血浴びて動揺して自分も落ちるんじゃないかって勢いでコウイチに手を伸ばすのも、「コウイチ帰ってきたぞー!!」って嬉しそうなのも、フラッシュバック起こして立っていられなくなるのも、どんなタツミももう見れないし。 屋上で一緒に流れ星探すフクダとタツミも、NYDで泣き崩れるタツミを立たせてハグしてくれるフクダも見れないんだなって思うと寂しくて苦しくて悔しくてたまらない。

 

 

最後だから、タツミがやってきた中で、最初に与えられた要のポジションで終わってほしかったな。フクダと一緒に、タツミがなれるコウイチに一番近い刀役でラスト迎えてほしかったな。タツミのライバル役も、見てみたかったな。

 

 

辰巳くんがちゃんと向き合って稽古頑張ってるのはわかってるし、私だって悔しいままで終わるのは嫌だから、ちゃんと受け止めて見届けに行くつもりでいるけれど。でもやっぱりすぐには受け入れられなくてごめんね、って気持ちの書き殴り。

ねえ誓って私だけを愛して

『女の友情と筋肉 THE MUSICAL  幸せの上腕二頭筋

(多少抜けあり、原作ベースでも劇中で大幅に表現が変えられてる場合は抜いてることも)

 

1巻

4「マッスルガールズ」

7-9「タメ」「試着」「パワハラ対策」

10「猛暑」(滝行)

21「晩ごはん会」

45-46「流れ星」「シバタの修行」

52「マサの努力」

67「秋のBBQ②」(結婚の予定はない)

69「急な合コン」

94「心の病」

 

2巻

4「転校生①」

10「シバタは負けない」

65-66「好きな人」「クラブ活動」

107「ともだち」

 

3巻

109-111「BARブエルボ・アルスール」「1ヵ月前①,②」

141-143「おそれいりました」「マユの風邪」「反応あり」

 

4巻

4-5「動揺30分」「とっさの葛藤」

7「かるい運動」

10「白い隙間」

17-19「泉家の姉達①,②,③」

21-22「カブ抜き①,②」

27「婚活パーティーデビュー」

31「俺の治療」

49「3Dエコー」

56「マサの決意」

59「スタバでマック広げて仕事してそう」

79「3コマ入籍」

82「おしゃれなスタバ君」

88「ユイの矛盾②」

98「マサの前進③」

99「世間話」

101-102「尻にねがいを①,②」

109-110「あさって①,②」

119「今風なスタバ君」

125「ドーナツの穴」

128-129「俺の穴①,②」

 

5巻

5-6「どうしよう②,③」

8「どうようしない」

14-15「目撃デート②,③」

16-18「逃げ道①,②」

23「溶接技術②」

24-25「いい女①,②」

28「親友だけど」

31「となりのスタバ①」(雲をどける)

34「退院と旅立ち」

35「最近のシバタ」

36-37「目覚め①,②」

43「初産」

48「そして父になる

51「電光石火②」

55-56「答え①,②」

58-69「2016年8月11日」(マユの出産)

72「母の顔」

75「0歳記念日」

80-81「父 龍二①,②」

90「シバタのジョギング」

93「シバタの寝落ち」

95「急変②」

97「腹筋占い」

98-99「グループ会話①,②」

100-105「ぶつけてこい」「ぶつけていく」「噛み合わない」「あきらめない」「イオリの意志」「2歩さがって3歩進む」

107「2016年12月」(イオリの銅像)

108「新生・女子会①」

135-140「シバタのとある1日」

商店街に生きる

初演は五郎とはじめ、2作目は末吉と花形

あの商店街で生きてきた人たちにはきっと他人には分からない“なにか”があるんだろうと思う。

元来幼なじみってそういうもんだけど。

 

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漠然と、はじめさんと花形くんは似た者同士なんじゃないかと思う。五郎と末吉という特定の相手に対して、という条件付きで。

 

はじめさん本人が自覚している通り、はじめさんは末吉くんと似たり寄ったりなところもある。しかし、ことごとく末吉くんと違うのは、彼はどうも報われない。多分生きるのに周りを気にしすぎてる。でもきっとはじめさんって、自分を犠牲にできる人。その正誤や善悪は置いといて、自分が身を引くことで人が幸せになるならそれでよくない?みたいな。これ全部ひっくるめて越岡さんにあてられた役っぽいなあって感じ、改めて今この配役に納得しているところ。

そこに甘えてるのがごろさん。二人の仲ありきで成立してる関係性。甘やかして甘やかされて。自己犠牲の強いはじめさんのほうが弱く見えるけど、その根底には“五郎が幸せなら”ってのがあるから、まあ納得の上…という表現が合っているのかな。はじめさんがごろさんのこと大好きだもんね、とは思う。それは逆も然りだけど。

 

一方、そううまくできてないのが末吉と花形。

ベースとして「監督と主演として2人で映画を作ることが夢」って同じ方角を向いてはいる。はじめさんの言葉を借りるなら「同じ夢をもってる2人には敵わない」って周りが思うような関係。じゃあなんで、ごろはじみたいに通い合えないのかなって考えたくもなるわけで。

1個は、花形くんが口下手なこと。はじめさんとごろさんは相手が強がってるときに気づける観察眼をもった人間だけど、末吉くんはそうではないよね。花形くんがもっとストレートに感情を表現できる人だったら、末吉くんに余裕がなくても、違った関係値になるんじゃないかと思う。

もう1つは、末吉くんの自己肯定感が低いこと。自己受容できない自分と、色んな人から評価されてる親友。比較したくもなるだろうし、そんなことを末吉くんが思ってる間は完全にはわかりあえないだろうな花末……。

そもそも、あの真っ直ぐ伝えてくれる父ちゃんの元でなぜこんなに自分を認めるのが怖い人間に育つのかが不思議ではある。むしろあの父ちゃんに育てられたからかもしれないけど。

 

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あの商店街において他の誰かが取って代わることのできない幼なじみという肩書きは、共に時を歩んできた相方で、時にライバルみたいな親友のことを指すのだと思う。

とここまでが東京公演を終えての考察。

会えない時間が

「会えない時間が愛を育てる」

一時期の辰巳くんの口癖。最近は公演がストップすることも少なくなったからあんまり聞かなくなったな。

 

気にしいで心配性な彼が発する言葉はいつも、自分に言い聞かせるみたいだなと思っている。こちらにしっかり届いているから独り言ではないんだけど、いま自分が欲しいんじゃないの?ってワードが並んでる気がする。そっくりそのまま返したくなる。

なんだかんだその気にしいさんに救われまくっているわけだが。

 

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4人舞台が初めて長期間休演になった。

個人舞台では悔しくも休演や公演中止を幾度か経験している。しかし、やはり慣れない感覚だなと思う。いやこんなの慣れちゃいけないんだけど。

去年の夏も2公演中止にはなったが、どちらも翌日には再開した。演者のプロ根性を感じた瞬間だった。

 

今年は急な5日間の休演、なんとなく満喫してそう休めてそうだなあって人もいれば、何度も謝罪してる方もいてどうしようもなく虚しくなった。私は無力だなと情けなくなった。誰も悪くないからこそ、なんだかやるせない気持ちになる。いっそ誰かを責め立てられたら楽になるのかって、そういう話ではないけれど。

 

 

生のエンタメを上演し続ける難しさってなんだろうね、万人受けすること?協賛してくれる人がいるかどうか?客席が全部埋まるかも評判も気になるところではあるよね。

でも私は、演者が怪我も病気もせずに走りきることだと思う。その瞬間、目の前でだけ繰り広げられる世界に必要不可欠なのは、他でもなく演者のみなさんなんだよな。

 

自らの身をもって世界観と熱量を浴びる、劇場という空間がだいすきだ。そこに命懸けで立ち続けてくれている人達も、演者の裏で作品を愛して動いてくれているみなさんも。ついでに、その全てを好きでいれている自分も悪くないなと思う。

 

 

会えない時間は、様々なものへの感謝や思いやり。当たり前に持ち合わせているはずの純粋な気持ちをさらに育ててくれる。もちろん、ふぉ〜ゆ〜へのまっすぐな愛も。

 

クリエ港からの再出航。

もう荒波で途中停泊することなく、名古屋までの長い旅路をみんなが楽しめますように。